岩槻の石工・荻原伊兵衛作の四角柱六地蔵石塔
大平山 芳林寺 埼玉県さいたま市岩槻区本町1丁目7−10
東武鉄道野田線・岩槻駅の南、直線距離にして約300mのところにある曹洞宗の寺院。
岩槻城主・太田氏ゆかりの寺で境内墓地には太田氏資の供養塔があり、境内には太田氏資像、太田道灌像が造立されています。
山門に至る参道の右手は広い空き地?になっており、参道脇に「不許葷酒入山門」の石柱が建っています。
山門の右に六地蔵が雨屋の中に祀られ、その横に「右 日光御成街道」の道標が建っています。
墓地は本堂左に広がっていますが、その入り口の立派な基壇の上に左から宝珠に錫杖姿の地蔵立像、小さな坐姿地蔵?、四角柱六地蔵塔が安置されています。
訪ねた目的はこの四角柱六地蔵塔です。
宝珠+笠+塔身+台石で構成されていて、総高200cm弱の石塔です。
四角柱の塔身の三面にそれぞれ龕を作り、その中に2体の地蔵立像が浮き彫りにされています。
像容は正面が幢幡持ちと合掌、右側面には宝珠に錫杖持ちと柄香炉持ち、左側面には数珠持ちと宝蓋持ちの姿です。
蓮台は多くの蓮弁を持つ蓮座、敷茄子、変わった模様の反華からなっています。
衣の襞は柔らかく流れるような線を描いており、持物を持つ手の表情も細かく作られています。
持物は宝蓋は深く厚みを出して作り、上飾りの鳳凰、卍模様など丁寧に作っています。
また、幢幡はいかにも風に靡いているように表現され、錫杖は小さいながらも頭部の音を出す環、小環が丁寧に作り出されています。
さらに地蔵の表情です。六道で迷う魂に手を差し伸べようとする穏やかで優しい作りになっています。
地蔵像、持物、蓮台などどこを見ても細かな美しい彫りだったと思われますが、風化が進んでいて彫りの描線が甘くなってしまっています。
また、日当たりの悪い正面、右側面は風化の進み具合が酷く、また白カビ、黒カビに責められています。
比較的彫りの美しさ、細かさが保たれている左側面の地蔵をアップにしてみました(右写真)。
塔身裏面には大きく「市宿町/寛政九(1797)丁巳霜月吉日/講中」と刻まれており、左下隅に小さく「石工萩原伊兵衛」の文字が見えます(右写真)。
さいたま市立浦和博物館の調査によれば、萩原伊兵衛は現在の岩槻区本町に居住していた萩原姓を名乗る4人の石工の一人だったそうです。
岩槻の石工として名前が知られているのが田中武兵衛です。こちらは作品に名前を残す場合は「林道町石工 田中武兵衛」または「林道町石工 武兵ヱ」と刻んでいます。
作品としては見沼区片柳・常泉寺近くの路傍にある庚申塔、見沼区片柳・大宮聖苑近くの路傍にある庚申塔の2基が作者名の刻まれたものとして知られています。
田中武兵衛は萩原伊兵衛よりわずか後に活躍したようです。関東一の石工であったと言われています。
いずれにしても田中武兵衛と並ぶ岩槻の名工の作品に会えたのは嬉しいのですが、他の石造物も同じで風雨に晒されて風化、破損が進んでいくのが寂しい気がします。
(2025.04)
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