岩槻石工・田中武兵衛作を含む3基の六地蔵塔
長松山 清浄院 さいたま市北区吉野町1丁目36−2
さいたまニュー・シャトルの今羽駅西方500mにある真言宗のお寺です。
ここに岩槻の名石工・田中武兵衛作の六地蔵塔があると聞いて訪問しました。
境内入り口には左右に地蔵菩薩立像と宝篋印塔が立っており、参道左に山門、山門を入って正面が本堂となっています。
本堂への石畳道の左が墓地となっています。
六地蔵塔は参道脇に一つと、墓地入り口のたくさんの石仏、石塔群の中に二つ建っています。
参道脇の石塔が田中武兵衛作の六地蔵塔です。
宝珠+笠+塔身+2段の台石という構造になっていて、総高約280cmという大きなものです。
塔身は一面、縦115cm、幅43cmの四角柱で、各面に龕を作り、その中に地蔵像が浮彫にされています。
像容は正面が子育地蔵立像で左胸に幼児二人を抱き抱え、右手に錫杖を持っています(写真左端)。
足元正面に一人が地蔵に縋っています。その右端に座って鼓を打っているところ、足下では一人が笛を吹き、もう一人が太鼓を叩いているところが掘り出されています。
他の三面にはそれぞれ2体の地蔵立像が掘り出されています。
像容はそれぞれ合掌、数珠(左面)、宝珠に錫杖、柄香炉(右面)、幢幡、宝蓋(裏面)となっています。
残念ながら日当たりの良い左面は造りがはっきり見て取れますが、逆光の三面は見にくい写真になりました。
また、右面は白カビが一面に覆い、裏面にも白カビが見られ、風化の進み具合も他の面より早いようです。
岩槻の芳林寺で同じ岩槻石工・萩原伊兵衛作の六地蔵塔を見ましたが、それに負けず頭部から爪先まで細かな細工で丁寧に作り出されています。
顔は萩原伊兵衛作に比べ、少し面長で幼顔に見えます。
上段の台石に銘文が刻まれています。
正面:右、左4人の戒名。中央に「毎日晨朝/入於諸定/遊化六道/救苦興楽」
左面:右から6人の戒名と1人の名前「享和二(1802)壬戌/四月吉祥日/吉野原村/施主岸平左衛門/岩附林道町/石工武兵ヱ」
右面:カビで判読できません。十数名の戒名かと思われます。
子育地蔵の幼児の姿で思い出されるのは同じ武兵衛作の庚申塔の邪気と三猿の姿です。
よくある庚申塔の邪気は青面金剛に踏みつけられ降参したような姿ですが、武兵衛作の庚申塔では青面金剛の足下から逃れ出ようとするかのような動きのある姿に造られています。
また、三猿も単純化された前向きの座姿ではなく、それぞれが立ったり、座ったり、腰掛けたりと動きのあるポーズをとっています。
普通の子育地蔵は一人の幼子を抱き抱えているだけの姿ですが、この子育地蔵の首を左に傾げた女性らしい仕草や動きのある4人の幼児の表現は庚申塔の邪気や三猿の表現を思わせて興味深いです。
他の六地蔵塔は一つが150cmくらいの四角柱六地蔵塔、もう一つが約200cmの宝珠笠付六面柱六地蔵塔です。
四角柱の方は正面=合掌、錫杖、左面=数珠、幢幡、右面=両手香炉、宝蓋?姿の地蔵立像浮彫で、天保四(1833)年建造です。
六面柱の方は正面から左回りに合掌、柄香炉、宝珠に錫杖、幢幡、宝蓋、数珠の姿の地蔵立像浮彫で、元禄十四(1701)年の建造です。
名工の作品を含め3基もの六地蔵塔に出会えて幸せな気分になりました。ただ、ここでも黒カビ、白カビに全面覆われて像容がかなり見辛くなってしまっている四角柱六地蔵塔を思うと残念な気がします。
(2025.04)
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