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坐姿地蔵を載せた四角柱六地蔵石塔が二基

円覚寺  稲城市矢野口1062

JR南武線・矢野口駅の西南、直線距離にして600mくらいのところにある浄土宗のお寺です。
南口を出て川崎街道をわたり、鶴川街道を吉弘通りとの交差点まで。そこを南に入ると100mばかりの所にあります。
小さな堂宇一つだけのお寺なので、近所の人も墓地の印象が強く、寺の名前を尋ねてもなかなか分かりませんでした。
もともとは江戸期から長坂家の私有墓地だったのが、昭和に入って共同墓地として認可されたそうです。
というわけで、坐姿地蔵を載せた四角柱六地蔵石塔も二基とも長坂家代々の菩提供養のものらしいのです。
一基は入口入った所に、鋳造の水子地蔵立像や石塔類と共に安置されています。
もう一基は長坂家墓地の一区画内に建てられています。
入口のものは高さ60cmの四角柱の上に像高55cmの坐姿の地蔵が載っています。地蔵は両腕ともに損傷していて持物が何かは分かりません。
角柱の正面、左面、裏面三面に浮き彫りされている立像は?と柄のついた持物、合掌と柄香炉、宝珠に錫杖と幢幡のようです。右面には銘が有るようですが読めません。
墓地区画内の一基は周囲に舟形仏像を配した基壇と台石、角柱で出来ており、高さ約115cm、その上に像高50cmの円光背を持った宝珠に錫杖の坐姿地蔵が載っています。
四角柱に彫り出された地蔵立像は正面が幢幡と合掌、左面に数珠と宝珠に錫杖、右面に柄香炉と両手で宝珠?の姿になっています。
舟形仏像を配した基壇の一面に銘があり二人の戒名とともに「元文二(1737)年」と「享保十(1725)年」の文字が読み取れます。
資料によれば入口の石塔の地蔵は丸彫坐姿で両手で蓮華を持っている姿で、明治十三年の開眼ということになっています。あまりにも損傷が激しいので同じ地蔵かどうか疑問が残ります。
共同墓地になったとはいえ、二、三十区画しかない小さな墓地を持つだけのお寺でした。(2019.05)

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