予定外の「明和」の角柱六地蔵にも出会いました
瑞石山 清水寺 町田市相原町701
JR横浜線・相原駅の東1000m弱、町田街道沿いにある臨済宗のお寺。
右手の駐車場側の入口は、石垣の上に乗った瓦屋根の白壁に取り囲まれて、まるでお城にきたようです。本堂、庫裏などの伽藍はこの白壁の中です。
白壁の途切れた左側に二本の石柱、坐姿地蔵の建つ石段があり、そこから参道がずっと奥の観音堂まで続きます。参道の左右には赤地に白く「南無観世音菩薩」と抜かれたノボリ旗が観音堂まで立てられています。
参道途中の左に鐘楼がありますが、その手前に新しい丸彫六地蔵立像が祀られています。
立派な基壇の中央に「六道の迷いから救ってくれる六地蔵」と刻まれています。
像容と地蔵名は左から柄香炉(法性)、宝珠に施無畏印(陀羅尼)、合掌(宝陵)、幢幡(宝印)、宝珠に錫杖(鶏兜)、数珠(地持)で、像高は62cmです。奉造年などは見当たりませんでした。
なぜか左端の法性地蔵と右端の地持地蔵だけがレースの縁飾りのついた頭巾をつけてもらっていました。(写真右)
本日の目的はこの六地蔵の予定だったのですが、観音堂の飾り彫刻が素晴らしいということなので、拝見しようと急な石段の下まできたところ、左側の木立の中の丸石囲いのコーナーに三つの小堂と石仏、石塔が安置されていて、その中に角柱浮彫の地蔵が六体あるのに気づきました。
高さ68cm、幅30cm、厚さ20cmの角柱に地蔵立像が浮彫されています。六体とも角柱の右面には「于時明和三丙戌(1766)天造立」、左面には「施主 當村 ・・・・」との銘がありました。
右面の造立年は全て「明和三丙戌」ですがその後の表記が「天造立」「年造立」「歳造立」「造立」と異なっています。また、願主名の刻まれたものもあります。
左面の施主の村には「當村」以外に「風間」「大戸」「相原」「上相原」などが見えました。
像容は左から如意、合掌、宝珠に錫杖、柄香炉、数珠、拱手(写真上右)です。持物は浅目に小さく造られています。合掌地蔵以外はやや目尻が上がり気味です。
台石が水平でないため、それぞれ前後左右に傾いていたりしますが、一体を除いて角柱自体に大きな損傷はありませんでした。
三つの小堂の内、二つには坐姿の地蔵が、もう一つには風化の激しい石仏、そのほか坐姿地蔵の念仏供養塔や庚申塔など「文政」から「明治」と時代はまちまちですが、丁寧に祀られていました。
急な石段を手摺を頼りにしながら登り、観音堂と水屋の装飾彫刻を拝ませていただきました。墓地は観音堂の右手、本堂裏の山の上です。
(2020.03)
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