関東大震災の傷跡?、損傷の激しい六地蔵
萬年山 東陽寺 足立区東伊興4-4-1
尾竹橋通りの西、東伊興4丁目のこの辺りには10ヶ寺ほどが集まる寺町になっています。尾竹橋通りを西に細道を入ってしばらく行くとあるのがこの曹洞宗のお寺です。
石柱鉄扉の山門を入ると正面本堂、右に客殿、本堂左を入って裏側が墓地になっています。
本堂横の石畳の左側、墓地手前に水屋があり、六地蔵はその奥に並んでいます。
大木に挟まれた六地蔵は像高50cm足らずの小さな作りで、明治33年の建造ですが、火災にでも出会ったように全体が黒ずんでいます。また、六体ともに脚部や肩に損傷を修復した跡があります。
持物は左から数珠、宝珠と錫杖、幢幡、宝珠、合掌、柄香炉となっています。
全体の彫りは硬く、法衣、持物は深めですが、顔はあっさりと引き目鉤鼻風に造られています。最大の特徴は六体が一つの船のような蓮台に乗っていることです。
六地蔵の左右に六角柱(手水鉢?)が建っています。左の正面には「文化九年壬申」右の左裏には「六月十五日」と深く刻まれた年月日だけが読み取れます。双方よく似た書体に見えます。六地蔵との関係は?
石畳の右側、本堂軒下には十六羅漢像がそれぞれの姿態で墓参の人を迎え、送ります。墓地には<一心太助>で知られる塩原太助の墓があります。
(2016.10)
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