大きな手の六地蔵、奉賛会に守られて
砂村新田六地蔵 江東区南砂2-28-27
地下鉄東西線・東陽町駅から四ツ目通りを北に、仙台堀川手前を葛西橋通りを東に。横十間川親水公園を渡って、南砂二丁目信号のすぐそばです。
瓦屋根、間口三間ほどの小屋の中に丸彫六地蔵立像が入っています。
説明書きによれば川を背にして小さな石造六地蔵があったそうです。太平洋戦争の東京大空襲で六地蔵も壊れてしまったのを、昭和二十七年頃に戦災殉難者慰霊を兼ねて再建されたのだそうです。「砂村新田六地蔵尊奉賛会」がお守りしています。
像高は90cmとやや大きめで、どっしりと重量感のあるお地蔵様です。
像容は左から合掌、宝蓋、宝珠に施無畏印、幢幡、柄香炉、念珠に錫杖となっています。持物に特徴があり幢幡と柄香炉の地蔵以外は数珠も持っています。
左端の合掌地蔵の足元には赤子が左手に蓮華を捧げ持って座っています。
説明書きには合掌=修羅道、蓋=餓鬼道、念珠=人間道、幡=畜生道、柄香炉=天上道、錫杖=地獄道とありますので、宝珠に施無畏印の地蔵は念珠持ち地蔵と見ているようです。
造りは全体に武骨な感じです。持物を持つ手が大きく造られています。しかし法衣の襞、肩口の結び紐、指にかかる数珠や飾り房などはしっかり彫りだされています。
目に墨が入っており、数珠と錫杖の先端は黒く塗られていました。柄香炉の炉にも梵字が書かれています。
六地蔵の左には「昭和貳拾年参月拾日没 戦災殉難者供養之碑」の大きな板碑が建ち、右隅には「延宝三(??)(1675年)天 南無阿弥(陀佛) ?月四?」の文字の下に三猿を浮彫した庚申塔が祀られていました。
砂村新田は砂村新左衛門一族によって造成され、万治二年(1659)に新田完成に到ったのだそうです。ここから1200mほど東に行った南砂三丁目公園に「砂村新田跡」史跡があります。
(2020.02)
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