経 歴
1935年7月 福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)に生れる
1936年4月 満州国(現中国東北部)大連市に転居
1944年5月 満州国新京市(現長春市)に転居
1946年9月 満州より島根県隠岐の島に引き揚げ
«学歴»
1954年3月島根県立松江高等学校卒業
1954年4月東京大学教養学部文科2類入学
1959年3月東京大学文学部フランス文学科卒業
1961年3月東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専攻修士課程修了
1964年3月東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専攻博士課程満期退学
«職歴»
1964年4月立教大学一般教育部専任講師
1967年4月立教大学一般教育部助教授
1976年4月立教大学一般教育部教授
1983年7月立教大学総長室調査役(85年2月まで)
2001年3月立教大学定年退職
2001年7月立教大学名誉教授
«海外研究»
1968年7月 フランス政府招聘フランス・スタージュに参加、ひき続き立教大学海外研究員としてフランスに滞在(69年7月まで)
1985年4月立教大学海外研究員としてフランスに滞在(86年3月まで)
«学会における活動»
1978年6月日本フランス語フランス文学会学会誌編集委員(82年5月まで)
1989年6月日本フランス語フランス文学会学会誌編集委員(91年5月まで)
1991年6月日本フランス語フランス文学会学会誌編集委員長(93年5月まで)
業績(略目録)
«論文»
1963年7月 「 Bonaventure des Périers の作とされている二篇の sonnets について」(『フランス・
ルネサンス文学』1)
1972年3月「デ・ペリエとナヴァール女王」(『立教大学フランス文学』2)
1976年3月「『笑話集』の真の作者は?」(立教大学研究報告・人文科学)35)
1991年3月 「 Baudelaire の 50篇のsonnetsの音調 --- 文学研究におけるパーソナル・コンピュー
タ利用の一例」(『立教大学フランス文学』20)
1992年2月「フランス語教育へのコンピュータ利用の一つの試み」(『立教』140)
1999年6月 「フランス語テキストの発音記号への変換プログラム開発の一つの試み」(立教大学言語人
文紀要『ことばと人間』1)
2001年3月「『キュンバルム・ムンディ』ふたたび」(『立教大学フランス文学』30)
«共著»
1976年12月『フランス文学講座1・小説I』(「物語作家たち」を執筆、大修館書店)
1978年5月『フランス語ハンドブック』(「作文」・「発音」の部を執筆、白水社)
1979年4月『フランス文学史』(「十六世紀」の部を執筆、白水社)
1980年9月『フランス文学講座6・批評』(「新たな文学語の創造」を執筆、大修館書店)
1993年3月『 Le Dico 現代フランス語辞典』(編集顧問、白水社)
«翻訳»
1963年12月 ボナヴァンチュール・デ・ペリエ「キュンバルム・ムンディ」(二宮敬氏と共訳、『世界短編
文学全集5』所収、集英社)
1963年12月エルヴェ・バザン『愛せないのに』(二宮敬氏と共訳、白水社)
1964年10月ボナヴァンチュール・デ・ペリエ「笑話集」(『世界文学大系74』所収)、筑摩書房)
1966年8月 ロマン・ロラン「ベートーヴェン後期の四重奏曲」(吉田秀和氏と共訳、『ロマン・ロラン
全集24』所収、みすず書房)
1968年4月シモーヌ・ヴェーユ「労働の条件」他(『シモーヌ・ヴェーユ著作集1』所収、春秋社)
1968年12月シモーヌ・ヴェーユ「工場生活の経験」他(『シモーヌ・ヴェーユ著作集2』所収、春秋社)
1970年12月ピェール・バルボー『ハイドン』(前田昭雄氏と共訳、白水社)
1982年3月アンドレ・テヴェ「南極フランス異聞」(『大航海時代叢書第二期19』所収、岩波書店)