東野高等学校格闘技同好会には、15年以上にわたる歴史があり
その中で幾多の抗争が繰り広げられてきた。
ここでは、それらの団体、チームなどの説明をさせて頂く。 

H.M.F.とは?

 1988年、小林厚子(当時)女史の呼びかけにより、少林寺拳法部と美術部から誕生した東野高校初の格闘技同好会、正式名称は東野高等学校格闘技同好会。または東野高校マーシャルアーツ・ファンクラブ、それを略してHMFである。所属レスラーはのべ41人にのぼり、他にレフェリー、リングアナ、解説者などもおり、総勢20数名の大所帯である。

(有)エジプトプロレスとは?

 1994年の春に、当時のHMF認定タッグチャンピオンだったドラえもんが、これもHMF認定シングルチャンピオンだったスーパー・デンジャラス・ボンバー・浦山を誘って旗揚げした東野高校第二のプロレス団体。HMFのプロレスには満足できず、自分たちの理想のプロレスを想像することに全てをかたむけていた。発足以来かかげられたテーマは、『ラーメンが主食』『二次元殺法』『現代人には、毒が足りない。毒を食え!』『喘息力』など難解なものが多く一般人には理解しにくい。パーマン、オバQなど藤子不二雄系レスラーが増えてきたところで当初の設立テーマとずれが生じてきたらしく第九回興行で活動を停止。所属レスラーはSDB浦山をのぞきFFWに移籍。しかし、97年に入りドラえもんが「全ての源はエジプロに有り」ということを感じ、急遽SDB浦山を呼び戻し、FFWを吸収しエジプロを活動再開させる。しかし2000年、新たな敵モンパンを倒す為に古巣HMFと合併することとなり、6年にわたる活動を終了HMF内派閥となる。2002年にはラッシャー五郎のCOOP構想に賛同しHMF本体と構想を繰り広げるも、興行終了後HMF本体と和解。

サルの穴とは?

 HMFシングル王者決定トーナメントに決勝で敗退したプロレスラー猿が、その悔しさをバネにプロレスラー養成道場として設立。正式名称株式会社サルの穴。代表取締役社長Mr.くいしんぼうパパ、常務プロレフリー猿、特別顧問プロレスラー猿、上記以外の所属レスラー=ジャイアント落合の長男(元中日ドラゴンズ落合の一人息子)、おさるまんハシミコフ(ロシアさるの穴アカデミー)、ザ・グレートやぶきなどである。

東野プロレスとは?

 1996年の春、ラッシャー五郎が旗揚げしたHMF内新派閥。格闘技としてのプロレスを語るHMF体質に辟易し、元々ヒールとして孤立していたラッシャー五郎が、純プロレス化をめざして一人で設立。1998年夏に、豊富なオイルダラーを元手にエジプロ、HMFの買収に乗り出すが、失敗。しかし2000年には、長年にわたり抗争を続けていたエジプロをHMF内に取り込むことに成功。さらに2002年、犬猿の仲のエジプロとモンパンを組まし、新派閥COOPを設立。だらけきったHMF正規軍からHMFの主導権を握ろうとする。その野望は尽きる事が無い。位置づけとしては、平成維新軍。存在としては、剛竜馬かジョージ高野?

F.F.W.とは?

 第九回興行で活動を停止した(有)エジプトプロレスの所属選手のほとんどが移籍し出来た団体。正式名称は藤子不二雄ワイド。エジプロとは違いHMFとは友好関係にある団体を目指していた。ドラえもん、パーマンと二人の藤子不二雄系レスラーを抱えていたエジプロに、番長押方ことオバQが参加することとなり、いっそのこと藤子不二雄を前面に出そうと言うことで設立。今回のエジプロ吸収合併後もその存在は、チームFFWとしてHMFに残ることとなった。

世界とは?

 HMF第二世代の代表格針剣山松井が、数年前から自らのテーマとしている「世界」。そもそもはエジプロに対する強烈なライバル心から、スタートした考えだったようだが、HMFの堕落ぶりに飽き飽きし、HMF内にいながらHMFとも考えを別にする独自のスタンスを「世界」と表現しているようだ。HMF内でも遠藤軍曹などは考えに賛同しているようで、じっくりとだが着実に新派閥は進行しているようだ。

モンパンとは?

 ルパン3世、次元大介の二人が代表格の新団体。正式名称モンキーパンチーズ。一時期はヒップ魔人ファンクラブに加入し配下となるなど、口の割には大したこと無かったモンパンだが、2000年に入って体制を一新。hmfからは脱退し、その卓越した企画力で逆にhmf(サルの穴)を配下に納めようとしている。最大の目標は自分達を解雇したHMFの壊滅にあったのだが、2002年にはマット界の寝業師R五郎の甘言に乗り、HMF内新派閥COOPに参加。その存在意義が微妙になってきている。

h.m.f.とは?

 第11回興行で突如現れたヒップ魔人を中心とするHMF内新チーム。ヒップ魔人ファンクラブを略してhmfである(色々とややこしいのでヒップ魔人ファンクラブの方は小文字表記)。構成員は共に八人タッグで戦い、見事に洗脳されてしまったルパン3世、次元大介、エル羽中田であったが、第13回興行前にヒップ魔人が古巣サルの穴に戻ったため解散。

COOPとは?

 ラッシャー五郎が2002年に、エジプロ、モンパンと言うHMF2大勢力に声を掛けて設立したプロレス運命共同体。だらけきったHMF本体に反旗を翻し、新たなプロレス想像に燃える。イメージカラーは赤で、所属レスラーのリングコスチュームも赤が基調。旧ソビエト連邦(CCCP)を連想させる、赤地に黄色で栓抜きとフォークをあしらった軍団旗を携えて入場する。ただ時節柄「赤」の世間的評判はすこぶる悪く、2002年興行終了後に参加レスラー全員で世界平和を訴え、大団円を迎えたこともあり(ラッシャー五郎だけ反目)今後の展開が注目される。

杉山モンスター軍とは?

 2004年にHMF正レフェリーだったミスター杉山がHMF乗っ取りの野望を抱いて設立。これと言ったコネクションを持たないミスター杉山のただの思いつきに過ぎないと誰もが思っていたところに、気分屋スーパーチョップ魔神が意気投合、一気にその野望は現実味を帯び巨大勢力へとふくれあがったが、HMF初のディーヴァと言うアングルが完全に滑り、興行自体が盛り上がらず自然消滅。

半日本プロレスとは?

 ハーフジャパンプロレス。2007年にSUGIYAMAXがHMF乗っ取りの野望を抱いて設立。当初自分がエースとなり大物外人を招聘してビッグマッチを連発すると言う構想だったが、「SUGIYAMAX」ならびに「MAX」が東野プロレスの登録商標になっていて新団体では使えず、本名ベースでユースケ・サンタモニカに改名。しかしこのリングネームは全く定着せずに、半日主催興行のチケットは大幅に売れ残ることになる。既に大物外人ハンドレ・ザ・ジャイアントの招聘に大金をつぎ込んでいたSUGIYAMAXは、借金の埋め合わせにハンドレの契約をHMFに譲渡し、ハンドレ対チョップ魔神のビッグマッチを売りとする、自分自身は出場しない不思議な主催興行を開催しようとする。しかし興行直前チョップ魔神がリアル骨折で欠場、当日券が大量に売れ残り、結局この借金が元で半日は消滅。SUGIYAMAXはHMF東野プロレスに戻ることとなる。


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