H.M.F.出場全選手全レフリー大百科 -2-

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名前(出場興行)

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名前(出場興行)

ケンシロウEX(4回興行出場)

小島 健太(12.13回興行出場)

 北斗神拳最後の伝承者らしいが胡散臭さプンプンである。第4回興行のHMFタッグ王者決定トーナメントにD.B.浦山と組んでデビューするも、B.B.G.M.S.昭、針剣山松井T.G.組に敗れる。動きもなかなか良く体も出来ていて、将来を期待されたのだが、この大会後観戦していた女の子を引っかけ、その子とそのまま行方不明。

 第12回興行でデビューした期待の新星だったが、練習に嫌気がさし道場に書き置き「ロッカーになります」を残し逃亡。懸命の捜索の結果発見され無事復帰を果たすも、逃亡生活で体重が激減。エリートコースのレールを踏み外す事となる。第13回興行でも練習不足は隠せず、まるで良いところ無く敗退。一年でここまで評価が変わるレスラーも珍しい。

今夜が山田(14回興行出場)

ザ・ガードマン武蔵Jr.(4回興行出場)

 第14回興行でデビュー。まだ高校1年ながら卍とコブラを使いこなす芸達者ぶりを見せる。そのキュートな笑顔には先輩レスラーもメロメロで、スターになるべく持って生まれた天賦の才能を感じる。先輩レスラーに伝授されたサボテン固めの入り方が解らずマット上で苦悩するが、それすらも絵になり観客のハートを掴んでしまうのだから、才能とは怖いモノである。

 88年よりお茶の水ガーデンパレスで修行を積み、91年4月15日代々木オリンピックプールでデビュー。その後モロッコに渡り行方不明になったが、HMF第4回興行にてアモール服部と組んで再デビューをはたす。世界中の工事現場で培った足腰の強さには定評がある。得意技は片側交互通行。尊敬するレスラーは宇津井建。

塩田 貴大(1.5.6.8〜16.19回興行出場)

下高原 勇(7回興行出場)

 HMF二大エースの一人。旗揚げから参戦の最古参レスラー。キックの重さはHMF一番だが、寸止めはちょっと苦手なようで他のレスラーから恐れられてる。数々の酒の上での伝説を残すが、近年は飲めば飲むほど目尻が下がりタレ目ちゃんになる事で有名。基本的に大らかで緩いので、度々R五郎やモンパンに騙され利用される事がある。

 第7回興行以来行方不明。その食生活の貧しさはレスラーとして致命的だったが、何の練習もしてない割に良いスープレックスを出したりするので、なんとか食いつないでいて欲しいモノだ。デビュー戦は94年のHMF世代抗争六人タッグマッチで、Mr.くいしんぼうパパにフォール負けしている。一説によるとモンパンの主力レスラーになっている言う話がある。

シンザン(9.10回興行出場)

スーパー・デンジャラス・ボンバー・浦山(4〜7.14回興行出場)

 台風で中止になった9回興行で、デビューする筈だったHMF三銃士の一人。とは言え一年間の厳しい修行に耐え、デビュー出来たのは彼一人だけで、もはやHMF三銃士と呼ばれる事も無い。柔道を基本とした投げ技が得意だったが、近年は毎度所用が出来てしまい参戦出来ず。しかし現役警察官となり、より実践的な格闘術を身につけ復帰を目指しているらしい。

 第3代HMFシングル王者。現役王者の時に、ドラえもんと共にHMFを飛び出しエジプロを設立。その素質はMr.くいしんぼうパパ以来の逸材と思われていただけに悔やまれた。エジプロでのパーマンとの確執などから、エジプロ移籍以来HMFのマットでは全く試合をしていなかったが、14回興行で7年ぶりに復帰。一部のHMFマニアにおおいに喜ばれた。

スーパー・デンジャラス・ボンバー・浦山ブラック(6.10回興行出場)

菅原亮2005愛を込めて(18回興行出場)

 HMF正規軍との風船爆破意味無しデスマッチの為に、R五郎とM.石賀津が連れてきた謎のレスラー。第10回興行ではエジプロ所属のS.D.B.浦山の出場を要請したのに、HMF所属の彼が出場して来て、同一人物説も浮上していた。エジプロ内での待遇が悪かったS.D.B.浦山の精一杯の抵抗とも噂されるが、謎は深まるばかりだ。

 少林寺拳法部に所属しながらHMFデビューの機会を窺っていたのだが、18回興行で突如デビューのチャンスが与えられる。同時にデビューしたエンター・ザ・ドラゴンとは、強いライバル意識で結ばれており、デビュー戦でも他のレスラーそっちのけで、バチバチしたファイトを展開、おっさんになり楽なプロレスをしていたベテランレスラー達をびびらせていた。

鈴木 六朗Z(6.7回興行出場)

ストッキンズ あさがお(右)&ひまわり(左)(4.20回興行出場)

 第2代HMF認定タッグチャンピオン。ドラえもんと組んでのデビュー戦でチョップ魔神、K.T.ウージー組を敗り、いきなりトップまで昇りつめた飯塚孝之(当時)のような男。だが幸運は長くは続かず、その後ドラえもんのHMF離脱によってベルトを返上するはめとなった。出身地木曽山中。空手の腕前は、茶帯級。完璧に鍛えられた体が魅力。

  出身地不明。プエルトリコで花屋を営むかたわら、ボランティア活動に終始。親孝行で気さくな二人。HMF史上最も息の合ったタッグチームだったが、たった一度きりの出場で姿を消し幻のレスラーと言われていた。06年の興行前に電撃復帰が噂されていたが実現せず。しかし07年遂に、本物のオリジナルストッキンズとして復活。切れ味鋭いファイトは健在だった。

スパイダーさん(19回興行出場)

チョコ・プディング・リー(8回興行出場)

 第19回興行でデビュー。HMFマット界マンガ系レスラーの限界説が囁かれる中、特撮とマンガのハイブリッドレスラーの出現はHMFマット界を変えられるのか?「チョイ不良(ワル)ヒーロー」スパイダーさんに注目だ。ただ本人曰く「スパイダーマンではありません」との事で、キャラクターレスラーである事を強く否定し、版権問題に敏感なところを見せた。

 95年の第8回興行にて、HMFシングルベルトに挑戦するも、まったく何にも出来ずに秒殺された、HMF至上最弱レスラー。テコンドーの胴着を着用してる辺りから実力派のレスラーかとも思われたが、安直にリーと名のった時点で、とんだ一杯食わせもの系レスラーであると言う事に気づくべきだった。怪我をするとまずいので、再登場はまずあり得ないだろう。

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