H.M.F.出場全選手全レフリー大百科 -3-

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名前(出場興行)

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名前(出場興行)

鉄腕ツトム(13.14回興行出場)

トシちゃん(16回興行出場)

 第13回興行5対5イリミネーションマッチでデビュー。裸でただそこに居るだけで絵になる天性のレスラー。その安定した体から繰り出される投げ技には一見の価値有り。同時デビューの西田シュンとは常にスパーリングを繰り広げており、その成果が実戦で現れれば大化けの可能性も有ったが、高校卒業と同時に引退。以後消息不明に。

 第16回興行でミスター・アメリカーナと共にデビュー。アメリカーナがその巨体に惚れ込んだHMFフロント全体のバックアップを受けてデビューしたのに対して、キャラ付けも必殺技も微妙なトシちゃんは、明らかにHMFフロントに冷遇されていたと言えよう。その思いをバネにしてくれると良いのだが・・・

西田シュン(13.14回興行出場)

熱血牛ちゃん(5回興行出場)

 第13回興行5対5イリミネーションマッチで鉄腕ツトムと共にデビュー。鉄腕ツトムとは対照的な軽量級の体と卓越した運動神経は、HMF伝統のK.T.ウージー、エル羽中田系の臭いがする。デビュー後1年で格段の進歩を見せ、頭を中心に回る完璧なムーンサルトは、どの先輩レスラーよりも美しくHMF1番の使い手と言える。

 牛丼の松屋勤務。海外遠征組が多く主力レスラー不在の第5回興行で、第1試合からセミファイナルまで3試合出っぱなしと言う快挙をやり遂げたスーパーレスラー。ただし試合内容がいまいちだったのと観客に飽きられたことにより、以後HMFマットには姿を見せてない。一部の観客に、熱狂的なブーイングをくらうあたりその不人気ぶりがうかがえる。

野村 宗司(1.2回興行出場)

バッド・ビッチ・ガット・メフィラス星人・スシニギラー・昭(4回興行出場)

 HMF旗揚げメンバーの一人。美術部元部長、少林寺拳法部出身。旗揚げ4人の中で一番プロレスリングに熱心で、美術部時代からK.T.ウージーやR・五郎らと関節技の研究にいそしんでいた。また他の格闘技にも大変興味を持っていて、HMF初の異種格闘技戦をS.佐々木と行ったりもしたが、残念ながら現在消息不明。(ノア勤務?)

 第4回興行に出場するや、そのいやらしいトランクス姿と派手なファイトで観客の視線を釘付けにした異星人レスラー。この大会後、意気投合したドラえもんとアメリカ・メキシコ修行にでるが、ウンコ漏らし事件、方向音痴事件、イタリア人奴隷事件等の痛快エピソードを残し消息を絶ち行方不明。初代HMF認定タッグ王者(パートナーは針剣山松井ザ・グレート)

ハナハジメ(3回興行出場)

番長押方(8回興行出場)

 90年第3回興行メインイベント、対針剣山松井戦で華々しくデビューするものの敗北。以後ラッシャー五郎とタッグを組んだりもしたが、うまくいかず仲間割れ。おまけにハナ肇氏が亡くなった今、このリングネームは封印せざるを得ないので、以後このレスラーがHMFリングに立つことはないだろう。麦で鍛えた腹が自慢とか言ってた・・・(ビールっ腹)

 ドラえもんにあこがれてHMFに入門するが、ドラえもんはエジプロを設立してすでに離脱。目標を失った形になった押方だったが精進を重ね、第8回興行で待望のデビューを果たし、六人タッグのベルトにも挑戦する。試合には敗れたものの、それらの努力をドラえもんが認めついにエジプロ入門を許可し、押方はオバQとなりHMFを離れることとなった。

BBM(15回興行出場)

ブラジル人X(2回興行出場)

 見ての通り正体は、1年間で丸々と太った鉄腕ツトムその人である。ただそこに立っているだけで絵になるデブっぷりに加え、なぜか試合中はヘルメットを被ったまま戦うと言う特殊なキャラクターがバカはまり。場内を爆笑の渦に巻き込んだ。ちなみに東野高校はバイク通学禁止校なのだが、彼がなぜヘルメットを持っていたかは謎。

 平成元年の第2回興行に突如現れ、メインイベントで野村宗司とのシングルマッチを行い、敗れ消えていった謎のレスラー。しかしこの試合が、ある意味HMFのレスリングの基本をつくったとも言えるだけに、再来日をして(外人?)好ファイトを見せてもらいたいものだ。一説にはチョップ魔神の正体は、ブラジル人Xではと言う話もある。

ボートピープル・ジョン(3回興行出場)

マッツ石賀津(2.6回興行出場)

 HMF史上最弱レスラーの座をグリーンキャットと争うが、バトルロイヤル優勝という肩書きがある分 まだグリーンキャットの方が上と言うところか?他に記載するべきことと言えば、HMFのスーパースタードラえもんのデビュー戦の相手をつとめたと言うことぐらいである。基本的にプロレスに興味がないため試合運びが非常にしょっぱい。

 デビュー戦は平成元年第2回興行で、ヤギー四郎と組みR五郎、工藤昭太郎組と行った。その後ドイツに渡り、ローランド・ボック道場に入門。ストロングスタイルを極めるために修行に励んでいたが、ある日「バイエルンの風になる」 と言い残して失踪。しかし、第6回興行で突如ヒールとして出現、下半身攻撃でHMF正規軍を多いに苦しめた。

Mr.?(5回興行出場)(HMF正規軍)

Mr.羽中田(6.7回興行出場)(HMF正規軍)

 平成4年11月1日の第5回興行スーパーバトルロイヤルでデビュー。スペースローリング・けつアタック、パロスペシャルなどの玄人好みの技で観客をわかせたが、熱血牛ちゃんのキンニクバスターによって惜しくもスリーカウントを奪われた。体が小さいのをカバーするために飛び技等をマスターしないとこの先はつらいかもしれない。

 平成5年9月26日の第6回興行、風船爆破意味無し六人タッグデスマッチにHMF正規軍としてデビュー。おまけにマッツ石賀津からムーンサルトプレスによって、3カウントを奪う偉業をやってのけた驚異の新人。軽いウェイトを動きでカバーするのは、系で言えばK.T.ウージー系だが、関節技などに経験の浅さが目立つ為もう一歩と言うところか?

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